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作る人も食べる人もわくわくするような柑橘を


小田原の西部に位置する米神地域。

「米神堤防」は関東屈指の人気堤防でありアオリイカの釣れるスポットとしても有名です。地名に「米」の字が入っているため米の生産が盛んな地域のように思えますが、これは弘法大師(空海)が米神に立ち寄った際に村人に水を求めたところ断られたために、この地域の水をなくしてしまい、村人たちは米を炊くことができなくなった為、米を噛んで食べるようになったという言い伝えからです。

この言い伝え通り、水が大変貴重であり、米栽培向きの土地ではありません。一方、相模湾からの潮風と温暖な気候がみかん栽培には適しており、定着した地域です。

山へ入ると急傾斜地が目立ち、その傾斜地を開墾して丁寧に石垣を積み上げたみかん畑と昔ながらのみかん小屋。小屋の大きさは大・小あるものの周辺には2トントラックが駐車できるような広さの駐車場があり、この規模からみかんの栽培が大変盛んな地域であることが分かります。

 

米神地域の支部長であり、みかんの交流企画に生産者として積極的に参加してくれている、広石計典さん(75才)に米神の暮らしと広石農園の今昔、そして柑橘への思いを聞きました。

 

◆広石農園の昔

米神地域といったら皆代々農家。みかん栽培が大変盛んで、どこの家も農業を継ぐのが当たり前でした。会社に就職する人のほうが珍しく、一流企業に就職をしても、最盛期の収入としてはみかん農家の方が断然高かったので、Uターンで家業を継いだ人も続出したんですよ。石垣を接いで畑の面積を増やしたものです。

各農家には東北方面から出稼ぎにきた人がみかん収穫に加わっていたので活気がありましたね。米の栽培が盛んな東北では、冬は雪深くなり、外仕事は困難になる為、米の収穫が終わるとだいたい11/1頃から小田原に来ていました。

はじめは草取りや早生のみかんも収穫していたかな。早生は今に比べると相当すっぱかった時代でしたが、当時はみかんが大変な人気だったのです、なにしろ品物があれば売れてしまいましたから。

父の代は男性1人、女性1人の従業員がいて、収穫シーズン中には合計8名ほどのもぎ手がいて1日あたり1tを目安に収穫していました。

1900年代半ばには米神の海で鰤(ぶり)がよくとれていて、米神だけで1網2万本もあがったもので、漁師もたくさんいました。

たくさん鰤が取れた日には旗がたち、手伝いに行くと鰤の切り身がもらえたり、逆に漁師の奥さんには日中石垣の草刈りの仕事を頼むことができたりと、お互いその地域に住む者同士、支えあっていて活気がありましたね。

 

1970年大学を出てアメリカへ

その頃は農家の息子といえば「農業試験場」へ行った後に就農するのが当たり前でした。私は農業関係の大学に行った後、国際農友会の農業研修生者海外派遣事業により1年間、アメリカのアリゾナ州へ行きました。

この農業研修生者海外派遣事業では県の試験に合格すれば参加することが認められ、私が研修した農園には同じタイミングで和歌山と徳島から研修生が参加していました。

自分に近い代では米神でも4人はこの海外派遣事業に参加していますよ。

アメリカは「みかん」というイメージはないかもしれませんが、カリフォルニアといえば「グレープフルーツ」や「オレンジ」や「レモン」の栽培が盛んなのです。

しかしアメリカの農業は日本の農業とは違います。医者や弁護士などが土地を持ち、マネージメントという形でサンキストから人を雇って生産をするので、本人は農業をしません。

私の研修先では、私より5~6歳ほど上の「ロイ」という日系の青年がマネージメントをしており、実際に農業をするのはメキシカンでした。ロイは500町歩(東京ドーム100個分以上)の農地を持っていましたね。

乾燥していて数日間雨が降らないこともよくある土地なので、潅水をしたり、消毒をしたり。剪定については日本ほどしませんでしたね。

夜は内陸の為、寒くなることがあります。寒いときだけ暖房を入れたり。寒い夜の明け方は町全体が暖房の煙が広がっていたのが印象深かったですね。

広大な農地なので作業する畑には車で片道1時間ほどかかることもありましたよ。

研修中はアメリカの最低賃金での給料も支払われましたし、自由な時間も与えられました。冬は暇な時期に1週間ほど休暇が与えられ、ニューオリンズやヒューストン、オースティン、ダラス、エルパソなど、バスや飛行機を乗り継いで5日間ほど1人旅をしましたね。

また、ロスの親戚や神奈川県人会のパーティーなどにも参加したので、日本人とはよく交流がありました。

研修に行く農場によっては周辺に何もなく、休日はずっと家にいた人もいたようですが、私の研修に行った農場近くには大きな道路がはしっていましたし、車も運転できましたから、あちこちに行くことができましたよ。

 

ロイとも仲が良く、休日はアメリカンフットボールを一緒に観たり、チェリー狩りをしたりしました。日本に帰ってきてからは、組織の20周年として帝国ホテルで開かれたパーティーにロイが参加し、日本での再会が叶いました。

◆みかんの大暴落

私が研修に参加したのが昭和45年、ちょうどこの頃にはみかんの大暴落がはじまっており、米神のみかん農家はみかん以外にも売れるものを模索しはじめた時期でした。

中には農家を諦めて就職をした人もいましたが、私は大学まで行ってましたから、農家を簡単にやめたくないって意地がありましたね。

小田原の西部は伊豆、熱海へ旅行に行く観光客の通る道なので、珍しい柑橘は需要がありました。うちではその頃セミノールの栽培を始め、苗木は1本5,000円と高かったのですが、なにしろみかんが1kg 30円~40円(※現在の紙幣価値で57円~75円程)の時代にセミノールは1kg 800円でしたからね。どこの農家もこのみかんの価格の大暴落を受けてみかん栽培を縮小し、珍しい柑橘に置き換えてみかんの比率を減らしていました。昔は全国で300万tの生産量があったのに今では70t前後になっていると聞きます。

うちの農園も父の代では雇えた従業員が雇えなくなり、家族でやりきることができるような面積へと徐々に縮小しました。

国の減反政策もありましたが、米神は猿の被害も考慮して作物を作らなければならず、これまでもビワ栽培をしたり、すももの大石やサンタローザも栽培したりしたのですよ。でも彼らは収穫間近になると現れ、一番いい時期の作物を食べてしまうので断念しました。

柚子は鳥獣被害もなく、他の作物と作業のタイミングがずれて良いということで栽培していたこともありましたが、みかんほど消費される柑橘ではありませんしね。

今耕作しているものは1年間の栽培のサイクルが重ならず、バランスよく作業ができるものでもあります。ブルーベリーなんかも、夏場の収穫物がない時期にちょうど収穫ができるように植えています。おかげでお盆休みがなくなってしまったけれど(笑)

 

それにしても最近は温暖化の影響で草刈回数が昔に比べて2回多くなり、除草剤を使うことはできないので、石垣の草はどうしたものかと悩んでいます。

  ジョイファーム小田原との出会い

私がジョイファーム小田原の一員となったのは、前社長の長谷川功さんと青年団を通じて出会ったことがきっかけですね。長谷川さんが生協にみかんを出していたのは知っていたのですが、当時は私の父が農協の役員をやっていて、みかんは農協に出す専属契約をしていました。

ちょうどその頃、ある店にネーブルを出荷した際に、自分の出したネーブルのはずなのに「広島産ネーブル」と書かれていたのを見てしまってショックを受けました。それは「小田原の柑橘は酸が強くてすっぱい」というイメージが払拭できなかったからだと思うと、色々考えさせられることがありました。

この地域は火山灰土壌なので根深く、みかんにとっては酸が強くなる環境ですが、晩柑にとっては根深が良く、気候もあっているはずなのです。

 

小田原のみかんがいつまでもこのような評価で良いのかと思っていた時に長谷川さんから加入の誘いがあり、晩柑から出荷をはじめました。

  柑橘への愛

私も妻も柑橘を食べるのが好きです。

よく、「どの柑橘がおいしいの?」と聞かれるのですが、人によって柑橘の味の好みは本当に違います。糖度が高いもの、酸味があるもの、多汁のもの、さっぱりしているもの…是非食べてみて、自分はどんな味の柑橘が好みなのか知って欲しいです。

作る側の人間でも、品種改良は夢がありますね。農業の1つの喜びです。食べてうまい!と感じれば自分も作りたいし、いいものができるとやっぱり嬉しいですね。

最近は温暖化で今まで普通に作ってもおいしいと感じなかった柑橘がどんどんおいしくなってきているし、今まで作れなかった柑橘が作れるようになると思うと楽しみです。

 

最近では「あすみ」がうまかったけれど、あすみは栽培中にかいよう病がよく出ます。我々ジョイファームの生産者は農薬の使用が限られているのですが、農薬の使用回数を減らすと、外観が良くない品種は消費者の理解は得られません。さらにあすみが品種改良されて今度は「あすき」という品種が出たので、かいよう病はどうなのかと気になっています。

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そうそう。アメリカのボス、ロイが使っていた「トライ&チェンジ」という言葉が好きです。

「良ければ続けろ、駄目なら変えろ」という意味なんですが、ボスも私が研修に行った当時は新たにピスタチオ栽培にも着手しはじめた頃だったので、心に響きました。

 

だから私も何歳になっても常に新しいものにチャレンジしていきたいと思っています。

米神の生産者集合写真
米神の生産者集合写真